西垣通氏のエッセイ「生命的な情報組織」

日経新聞の「やさしい経済学教室」で3月4日から8回連載された西垣通東大教授のエッセイが面白かった。


簡単にまとめると、こんな感じだ。


インターネットの発達で共同体が巨大化しつつあるが、そのなかで個人の生き方を考えよう。そもそも共同体というのは、生物としての個体がそうであるように、DNAの生存能力を高めるための仕組みにすぎない。また、この共同体は、一種の情報コミュニケーションシステムである。脳の情報処理能力から考えると、共同体のサイズの上限は150人くらいという仮説があるそうだ。しかし、世界のひとびとはネットワークでつながり、情報量は爆発的に増大している。このインターネット時代において、社会=コミュニティーのあり方や、個人が社会の中で主体性や責任をもって生きるあり方を見直し、心の通じ合う少数の仲間との濃密なコミュニケションを取り戻し生きる方法を見いだそう。


面白かった箇所を二つほど引用する。

よく知られているのは、人類学者ロビン・ダンバーの「150名が群れの上限値」という仮説である。
(中略)
ダンバーは、大脳新皮質のサイズと群れのサイズとのあいだに明確な相関関係があることをつきとめた。群れが大きくなると、個体どうしの相互コミュニケーションが複雑化し、その処理が一挙に増大するので、大脳も大きくならざるをえない。ヒトの場合、大脳新皮質のサイズから計算すると、群れのサイズは150になるというのだ。
(中略)
では、人口1億人以上の近代的国家共同体というものは何ものなんだろうか?21世紀には、インターネットをベースにして地球村ができ、そこでは60数億の全人類が互いに情報を共有し、コミュニケートしあえるという夢がよく語られる。だが、ヒト本来の脳の容量からすれば、そんな考えは幻想のような気もしてくる。


確かに、脳の情報処理能力からすると、地球規模の情報共有やコミュニケーションという考えは幻想なのかもしれない。しかし、他方では、知りたい、コミュニケートしたい、というのが脳の欲求でもあるのだと思う。そういう意味では、グーグルの検索サービスのように、世界中の知識を整理し、知りたい情報を瞬時に提供しようというサービスが、脳の欲求をみたしつつ、処理能力の限界をカバーしているのかも知れない。
グーグルについて、西垣先生はどうみていらっしゃるのだろうか?ここには、濃密なコミュニケーションが存在していなくて、たとえばグーグルに対する信頼感の問題などストレスをひとびとにもたらしてしまうという問題もあるのかも知れない。

われわれが生きるうえでもっとも大切なのは、心の通じ合う少数の仲間との、暗黙のうちにおこなわれる濃密なコミュニケーションである。それが知恵をはぐくみ、生きる勇気を与え、創造活動の源泉となる。ヒトとはそもそもそういう生物なのである。


こういう仲間は自分で作っていかなければならない。じゃないと、生きている実感湧かないからなあ。


(参考資料)

連載原文:http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/bc3b37a6e9c58240120914d798dc4d22
西村通教授インタビュー:http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/int/21/index.shtml